アルマーニの「標準服」必要?部外者がなぜ語るのか?

 東京・銀座の中央区立泰明小学校が、新一年生の標準服に「アルマーニ」を採用するということで騒ぎになっております。

 

 すべて揃えると八万円超ということで、当事者でない方からも経済的な心配の声があるようです。

 

 当事者でない皆さん、心配しないでください。あの近辺に、我々庶民が住むことは今後もありませんから。銀座5丁目とその周辺ですよ。家賃にしても固定資産税にしても凄く高いエリアです♪(笑)

 もし、庶民であそこに住んでいる人がいるのならば、そのノウハウを武器に講演会などして、すぐにお金持ちになれますから。

 

 あの近辺に住んでいる人であれば、八万円払えない人はまずいないでしょう。というか、毎年買い替える人もいるかもしれません。

 

 当事者で区に苦情を入れている方もいらっしゃるようです。その人たちの苦情の理由の主なものは、小学校側の「説明不足」のようです。中には、お金持ちだけれども子供に高価な標準服は必要ないと思ってらっしゃる方もいらっしゃるでしょうし、アルマーニ以外のブランドが好きな方もいらっしゃるかもしれません。

 

 お金持ちのご家庭が、子供にブランド服を着せたり、高級レストランに連れて行ったり、海外旅行に連れて行ったり・・・そういうことを「子供に必要ない贅沢させて、とんでもない親だ」とか聞く場合がありますが、他人に干渉するのはどうかと思います。(笑)

 

 当事者が話し合えばよいことではありませんか?

 

 朝日新聞(大阪版2月16日付)にこれについて掲載されておりました。その中で「公立校は本来、地域の子どもが経済的な制約を受けず誰でも通えるはずの学校。多様な家庭の子どもを受け入れ、意見に耳を傾けながら・・・」という識者の意見が。

 

 何故、制服の時だけこういう指摘が発生するのでしょうか?これまでも中高一貫公立校が新設されたり、昔から国立校というのもあります。そこで学んでいるのは、現実的には学力の高い生徒に偏っています。多様性とは程遠いにも関わらず、それほど批判がないのはどうしてなのでしょうか?